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祝・卒業!⑤ 三宅渚さん Saint Francis University (NCAA D1)

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I-Con Playersアメリカ留学レポート⓲ NAGISA MIYAKE – Saint Francis University (NCAA D1) Graduation!

ペンシルバニア州のセント・フランシス大学を5月に卒業した三宅渚さん。体格のいい大きな外国人選手に交じって、小さな渚さんが頑張っている姿は、本当に応援したくなる選手でした!
渚さんからの卒業メッセージ、ご覧ください🎓

こんにちは。5月にSFUを卒業しました三宅渚です。

まず最初に私がアメリカの大学に行きたいと思った理由なんですが、英語を話せるようになりたかったから、また、自分の視野を広げたいと思ったからです。アメリカだけではなく色々な国の文化や考え方を知りたいと思っていましたので、大学を選ぶ際にもチームがインターナショナルであることを重視していました。

TOEFLやSATの試験は何とか頑張って大学が求める合格スコアを取って入学したのですが、実際にはほとんど英語が話せない状態からスタートした大学生活だったので、辛いことや大変なことが沢山ありました。でも、それ以上に素晴らしい経験をできた4年間だったと思います。

愛知県の高校で3年間部活テニスを頑張った私ですが、ITFなどの国際大会での大きな実績はなく、予算的にはそこまで大きな金額を払えない、でもアメリカに行きたい! そんな希望をI-Consportsさんに伝え、そんな私に合う大学を探してもらえないかお願いしました。SFUはペンシルバニア州でものどかな田舎にある大学ですが、その分みんなすごく優しくて、大学生活を送るにはいいところだと思います。

勉強面ではやはり英語が最初の関門でした。人と話すことが好きな私はコミュニケーションを専攻したのですが、コミュニケーション学部ではスピーチやプレゼンテーションが多く、人前で話す機会が他の学部よりも多くありました。想像通り?1年生の頃は授業の内容が理解できず、授業が終わると必ず教授に質問に行っていました。

私の大学には日本人が私を含めて2人しかいなかったため、頼ったり相談できることがほとんどありませんでしたが、そのぶん、分からない時は下手な英語でもとにかく聞いてみるよう心がけました。最初は苦労した英語ですが、積極的に向き合っていった結果、3年生になると授業も分かるようになり、友達や教授に対しても言いたいことを言えるようになりました。

テニスについては、アメリカの大学テニスは団体戦がメインとなっているため、チームの仲の良さはとても重要なポイントだと思います。自分が試合で負けた時に、「これで終わりじゃないよ、また次があるから頑張ろう」と仲間が励ましてくれたりするのは、とても嬉しかったです。 

私が強く感じたのは、コーチが変わるとチームが180°変わってしまうということです。2年生になった頃、突然コーチが変わりました。それまでのコーチはインターナショナルなチームを好んでいたのですが、新しいコーチはアメリカ人を中心に選手を集めていました。コーチが変わるだけで、そのチームがガラリと変わることもあると皆さんには知っておいて欲しいと思います。また、アメリカの大学にはトランスファー(転校)という良い制度があることも共に知っておくと良いと思います。

はじめは教授やコーチ、チームメイトに自分の言いたいことを言えないことから悔しい思いをすることがたくさんありましたが、それが段々と伝えられるようになり、自信を持てるようになりました。日本にいたら経験できなかったような、大変さを沢山経験しました。例えば、日本食が食べられないことがとても辛かったりしましたが(笑)、多くの辛いことや大変なことを経験したり、様々な国の人たちの考え方を知ることができ、人として大きく成長できた4年間だったと思います。アメリカの大学を選んで良かったなと改めて思っています🎓🎓

アメリカの大学を目指すかどうか考えている方は、ぜひ挑戦してみてください。たくさん大変なことがある分、一歩踏み出した人にしか得られない経験ができると思います!💪💪

✔ 渚さん、有難う! アメリカでのいろんな経験を、これからアメリカを目指そうと思ってる高校生たちにもたくさん話してあげてね。卒業おめでとう!🎊🎊

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祝・卒業!② 倉橋奈摘さん Wichita State University (NCAA D1)

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I-Con Playersアメリカ留学レポート⓯ NATSUMI KURAHASHI – Wichita State University (NCAA D1) Graduation!

皆さん、はじめまして!倉橋奈摘です。簡単に自己紹介すると、出身は愛知県豊田市で、高校は山口県の野田学園高等学校を卒業、その後ウィチタ州立大学に入学、そして先日卒業しました。

私の専攻はExercise Science、副専攻はSports management、そしてPhysical Education Coachingの資格を勉強し取得しました。コロナによるExtra yearを使うことが出来たため、計5年間アメリカの大学でテニスと勉強をしていました。在籍中にテニスで大きな戦績を収めることはできませんでしたが、アメリカの大学に興味がある、これから目指したいという方のために、私の5年間を振り返りながら何か伝えることができればと思います。

まず、この5年間を一言で表すと、「いろんなことがあったけど、控えめにいって最高の5年!!」です。私は元々、日本の大学に進学するつもりでいました。しかし、高2の全日本ジュニアでアメリカの大学に進学する選択肢を知り、急遽、高校卒業後の進路を変更しました。私がアメリカの大学に進学した最大の理由は、自分のテニスの実力が世界にどこまで通用するのか試したいと思ったからです。

私は幼い頃から将来プロテニスプレイヤーになることを夢見て死に物狂いでテニスを頑張ってきました。しかし、高校を卒業するまで様々な理由からITF やWTA の大会に出場することが難しく、世界の選手と戦わないまま日本で頑張っているだけでは、本当の意味で自分の夢を叶える事は出来ないのではないかと思い、この四年間は自分の夢に対する最大で最後のチャンスだと決めてアメリカの大学に進学することを決意しました。

そうやって、自分で決めた進路ではあったのですが、いざ渡米となると、ワクワクの気持ちよりも不安な気持ちが大きかったのを今でも鮮明に覚えています。私の最初の1年半は、いろんなことがあったので、その1年半について話したいと思います。

渡米前の不安が的中したかのように、私の最初の一年半は、楽しいことばかりじゃありませんでした。私の中での最初の壁は、やはり言語でした。入学する前の私の英語力は、なかなかひどかったので、TOEFLの点数が上がらず、西谷さんには大変ご苦労をおかけしました💦🙇‍♀️。そのため、学校に語学学校のようなプログラムが付属していて、なおかつテニスのレベルも高い学校を探してもらい、今の大学と出会いました。

語学学校のようなプログラムでは、4技能(Reading, Listening, Speaking, Writing)を英語で学びつつ、大学の論文の書き方や課題を効率よく進めるためのヒントなども学ぶことが出来たので、このプログラムを受けられたことは正直良かったと思います。学業については、慣れもあるので私の中では思ったよりも苦戦しませんでした。より苦労したのは、アカデミックよりも単純にコミュニケーションをとることでした。

私は、元々極度の人見知りで内気な性格なので、自分から人に話しかけたり、自分の意見を主張することが苦手で、それを慣れない英語で ってなると自分の中でキャパオーバーでした。でも、話した方が英語の伸びは格段に良くなるとわかっているからこそ、さらに自分を追い込んでしまって、悪循環でしかありませんでした。

しかし、私は本当に周りの人々やチームメイトに恵まれ、とてもアットホームな雰囲気の後押しもあり、二年目に入るあたりから自分から積極的にコミュニケーションをとってみようという勇気が生まれてきたので、少しずつ自分の意思を伝えられるようになっていきました。一度勇気をもって話しかけてみると、二回目以降は自然と緊張しなくなり、すぐにコミュニケーションをとれるようになりました。

コミュニケーションに必要なのは英語力よりも、伝えようとする姿勢がとても大切になってくると思うので、一発で伝わらなくてもどうにかして伝えようとしてみてください。ほとんどの人は、何を言おうとしているのか頑張って聞こうとしてくれるはずです。そうすれば、案外伝わることを実感して楽しくなってきたり、伝わらないことが悔しくて英語の勉強のモチベーション維持にもつながると思います。

英語や勉強も苦労しましたが、私の中での1番の難関はテニスでした。渡米する前は、アメリカでも試合にたくさん出場して活躍したいと意気込んで行きました。しかし、1年目のシーズンは全くと言っていいほどシングルスには出させてもらえず、出たとしてもダブルス3にたまに使ってもらうくらいで、ほとんど試合ができませんでした。テニスをしに来たのに、試合に出させてもらえない状態が続くうちに、私はここに何をしに来たのか、自分自身を追い込むようになりました。正直、この期間が五年間の中で一番辛かった時期です。でも、この期間に自分自身と将来と真剣に向き合うことができたので、今考えるととても大切な時間でした。

ただ、この期間があったおかげで、私は人として何倍も成長したと思いますし、この先どんなことがあっても大丈夫という自信になりました。腐らず頑張り続けたからか、その翌年から試合に出れるようになり、三年目からシングルス1,2のポジションを任せてもらえるようになりました。それと同時にチームのキャプテンのような役割も担うようになりました。もちろん、苦しいことだけではなくて、楽しいこともたくさんありました。チームでいろんなところに試合に行ったり、ご飯を食べたり、祝日を一緒に祝ったり、他にも数えきれない思い出があります。思い出がありすぎて、アメリカを去るのが本当に寂しかったですし、今でも思い出すと涙が出てきます。

すべての経験一つ一つが大切で、アメリカに進学しなければ経験できなかったことばかりなので、アメリカの大学に進学するという選択をして本当に良かったです。これから、勉強し始める人、もうすぐ渡米する人、まだ進路を迷っている人など、いろんな人がいると思います。どのステージにいる人でも、今やれることを全力でやっていれば、必ず何かしらの形となって自分にかえってきます。

私は、この五年間で、いい意味で自分の実力の限界が見えてしまったので、選手としてのテニス人生には区切りをつけ、10月から一般の企業に就職します。しかし、テニスを通してやり遂げたかった「世界中のたくさんの人々を笑顔にしたい」という夢は今も変わっていません。今は、それを成し遂げる手段がテニスではなく、何かサービスを届けることで実現できればと思っています。このような柔軟な考えができるようになったのも、この五年間でたくさんの人に出会って、様々な経験をしたからだと思います。

皆さんも、これから大切な選択する場面が出てくると思いますが、どんな選択をしても、あなたがたくさん悩んで出した精一杯の答えなら、どれも正解です。あとは焦らず自分を信じて、今やれることを一生懸命やり続けてください。そして、辛いことがあったらパンクする前に周りの人を頼ってください。必ず手を差し伸べてくれる人がいるはずです。

話が長くなってしまいましたが、とにかく最高の学生生活を送ることができました!これからは、ステージは変わりますが、今までテニスに注いでいたエネルギーを仕事に注いで、まだまだ成長していけるように頑張ります!

最後になってしまいましたが、このような貴重な経験ができたのは、I-Con Sports様を始め、たくさんの方々のサポートがあったからです。本当にありがとうございました。そして、これからチャレンジするみなさん、四年間なんてあっという間ですよ!!やりたい事をやれるだけやれるのは今だけです。なので、悔いのないように、悩んで、もがいて、全力で楽しんで、思う存分やりつくしてください!応援しています!!

✔ 奈摘、有難う! 責任感の強い奈摘さん。自分のことと同じくらい、いやそれ以上にチームのことを考えて5年間の大学生活を送っていたことを、一時帰国した時などに話を聞かせてもらって感じていました。今年の夏は後輩たちの応援で大分のインターハイでも姿を見かけました。テニスプレイヤーとしてのNatsumi Kurahashiはこれで一旦一区切りですが、またいつの日かこの世界に帰ってきてくれる日が来ることを楽しみに待っています。卒業おめでとう!🎊🎊