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🎾 I-Con Players’ アメリカ留学レポート⓲🎾
Ryosuke Sowa (Sr.) – University of Hawaii at Hilo

今週からは大学の4年間を終えた子たちからのメッセージです。卒業して就職する子もいれば、大学院に行く子や、そのままもう一年最後のEligibilityを使う子など、様々です。

トップバッターはハワイ大学ヒロ校(NCAA Div.2)に留学中の宗和亮介君。あともう一年、最後のEligibilityを使って5年目の大学生活。コロナを挟んで、途中でTransferも経験した亮介君の波瀾万丈のメッセージは力作です。
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みなさんこんにちは、宗和亮介です。僕は今年の5月でアメリカでの学生生活4年目を終え、次の秋セメスターから5年目に突入します。僕の4年間はスタート前からかなりバタバタでした。
高校3年のインターハイ時に某W大学から推薦を頂いた僕は、他のスポーツ推薦と指定校推薦を全て断ってその大学を受けましたが、結果は不合格でした。この時点で11月でした。そこから1月のセンター試験に向けて勉強を始めましたが、2ヶ月の勉強で志望大学に受かる訳もなく、浪人を考えていました。
そんな時に出会ったのがI-Con Sportsでした。そこからは英語漬けでした。2月にスタートして8月の入学に間に合ったのはラッキーとI-Conのサポートが大きかったですが、この短期間で集中して点数を上げれたことは良かったと思います。

アメリカでの生活はアラバマ州のDivision 1、Jacksonville State Universityでスタートしました。英会話はほぼできず、頼れる日本人が1人もいなかったために1年目は全てが手探りでした。アラバマ州はアジア人が少なく、人種差別も少しあるような場所でしたので、治安的にはあまり良くなかったと思います。
チームはコーチ陣含めアメリカ人が1人もいない多国籍チームでしたが、僕以外は全員スペイン語圏かヨーロッパ出身だったので、コミュニケーションや文化の違いに苦労しました。リョウスケと発音できず、彼らは僕をライオやウイスキーなどのニックネームで呼んでいました。ただ、男女共に仲が良く、毎週パーティーをするチームだったことは騒ぐのが好きな僕にとってはラッキーでした。

勉強やテニス、言語、生活そのものにも余裕がなかった僕でしたが、いつも誘ってくれたチームメイトには感謝しています。(僕が呼ばれれば必ず駆けつけていたからでもあるでしょうが。。)
2年目になると多少余裕もでてきて、1年目に試合になかなか出場できなかった僕としても、Conference決勝で敗れたチームとしても重要な年になるはずでしたが、コロナによりシーズンが途中で無くなってしまいました。

僕がトランスファーを考え始めたのはコロナが流行る少し前でした。アラバマ州以外での生活も経験したかったことと、試合の出場機会を増やしたかったことが理由でした。トランスファーを選んだことは後悔していませんが、コロナもありJSUでは不完全燃焼で終わってしまったのが悔やまれます。しかし、Division 1のテニスを経験できたこととディープな地域で2年間生き残ったことは、確実に現在に活きています。

3年目からはトランスファー先であるハワイ州のDivision 2、University of Hawaii at Hiloでプレーしています。この大学を選んだのは、コロナ前のNationalでベスト4だったこととコーチと縁があったためです。(正直ハワイだからというのも大きかったですが)
この大学は観光客が多く集まるオアフ島ではなくハワイ島にある大学で、海と山と火山岩地帯が広がる平和な場所です。Division 1のJSUのように施設が整っていていつでもトレーナーの施術を受けられたり、ストリンガーがガットを張ってくれるということはなく、住む場所もオフキャンパスなので、ガット張りや買い出し、自炊洗濯など全て自分でやる必要がありました。
しかし裏を返せば自分のペースで生活することができ、積極的に動けばその分できることも増えるため僕には合っていました。空き時間を見つけては自主練や他のスポーツをしたり、海に行ったりととても充実しています。また、シーズン中の遠征は全て飛行機で移動し、一回の遠征が1週間以上になることが多いことは、遠征はいつもバス移動で週末返上だったJSUより僕が気に入っている点です。

ハワイ1年目はコロナの影響で授業が全てオンラインになったため、ハワイ出身の1人と僕以外のチームメイトは自国に残りました。そのため、最初の半年はチームでの練習ができず、大半のチームメイトやクラスメイトに会えずに過ごしました。
しかしチームメイトが帰ってきてシーズンが始まると、半分が新しいメンツにも関わらずコーチ含めて家族のように仲が良く、テニスもD1と遜色ないレベルで、良い雰囲気のままConferenceとRegionalsで初優勝、そのままNationalでベスト4でした。
しかし僕自身はConference前のリーグに数試合出ただけでNationalでのプレー機会を逃しました。2年目だった今年のシーズンはチームとしては惜しくもあと一歩のところでNationalを逃しましたが、僕個人としては去年の戦績により招待されたIndoor Nationalでプレーしたりと出場機会が増えてきているので、来シーズンはチームの中心となって活躍してNationalで勝つことを目標にしています。

シーズンの途中キャンセルによってエリジビリティ (注: 大学でプレイする資格) がまだあること、テニスでの目標をまだ達成していないこと、ハワイを気に入っていることなど、もう1年大学に残る決断をした理由はいくつもありますが、5年目を悔いのないよう全力で楽しむつもりです!

この4年で特に大事だと学んだのはとにかくアクションを起こすことです。例え言葉が通じなくても上手く行かないことが多くても、積極的に自発的に行動を起こすことが大切だと学びました。
ラッキーなことに今はテニス留学を実際にしている日本人がたくさんいます。そして、想像しているよりもたくさんの選択肢があります。まずはアクションを起こしてみましょう。僕達は喜んで質問に答えますし、いつでもウェルカムです!